こんにちは、BabyJです😊。
私は、今は英語がペラペラですが、昔は全く話せませんでした。
仕事先の外国人に話かけられても、全く会話ができず、”Stupid (馬鹿じゃね?)と言われるほど。
アメリカに留学して帰国した時も、相変わらず英語が話せませんでした。
それが、何故ペラペラに?
そこで本記事では
留学したのに英語が話せなかった私が、英語ペラペラになった理由
をご紹介します。私の体験記です。
この記事を書いているBabyJは、国際恋愛歴も英語歴も数十年。実体験、外国人男性に直接聞いた意見、そして、海外の専門家から得た知見を元に、外国人と付き合うコツをご紹介しています。
英語が大好き。でも、話せない

中学の頃から、英語が大好きで、外国や国際的なことが好き。
英語が好きな多くの人の例に漏れず、夢は通訳者や翻訳者、または国際的な団体や外資系の会社で働くことでした。
けれども、いくら英語が好きで英語の成績は良くても、外国人とは話したこともありませんでした。
話す機会があったとしても、生の英語は全然聞き取れず、しどろもどろ。
先に書いたとおり、派遣で行った先の外資系銀行で、外国人に簡単なことを言われて、全く聞き取れず、返事もできず、”Stupid (馬鹿じゃね?)”と言われて、反論もできない。そんな状態だったのです。
日本人にはありがちな状態ですよね。
今なら、外国人と言い争いをしても勝つ自信があるのですが。。
27歳で単身、アメリカの大学に留学

実は、私には、「英語が話せるようになりたい」ということ以外に、もう1つ夢というか目標がありました。
それは大学に行くことでした。
高校卒業後は専門学校に行き、卒業せずに途中で就職。紆余曲折する中、大学に行かなかったことを後悔していました。
なので、今からでも行こうと決意しました。
そして、どうせなら、好きな英語や国際的なことで有名な上智大学に行こうと決めたのでした。
さらに、上智大学には「帰国子女入試」があって、海外の正規課程を(高校や大学)最低1年間終えていれば、「帰国子女」枠で受験できることを突き止めました。
しかも、海外で取った単位を移行することができるとのこと。※今はどうかわかりませんので注意。
それなら、まずアメリカの大学に1年生として留学して、そこから上智大学を受験して、2年次から編入しよう、と計画しました。
そして、実際にそのとおりに実行したのです。
大学選びから、願書の提出、受験準備、推薦状などの必要書類の提出、渡航準備など、アルクの「留学辞典」を参考に、全部自分でやりました。
代行業者を使うお金の余裕がなかったからです。
英語は全然話せなくても、英語の試験は得意。読んだり書いたりすることはできるからなんとかなったのです。
留学したのに英語が話せない

晴れて、自分が選んだマサチューセッツ州の私立短期大学1年生として入学。留学生活が始まりました。
この時、私は27歳でした。
しかし、結局、最後まで英語は話せないままでした。
英語の授業についていき、レポートを提出し、試験をこなし、単位を取るためには、毎日、朝から晩まで勉強せねばなりませんでした。
留学生は皆そんな状態でした。

なので、週末はいつも日本人と一緒に図書館。たまにパーティーに出かけても、ラブラブなアメリカ人カップルを尻目に、日本人同士固まっているだけ。
結局、1年後は、英語が話せないまま、アメリカ人の恋人も仲の良い友達もできないまま帰国しました。
日本人と仲良くなっただけです。
英語ができないのに英語のお仕事

英語が話せなくても、計画通り、上智大学には2年次に編入合格。
帰国子女ではないのに、帰国子女と外国人がほとんどの比較文化学部での毎日がスタートしました。
比較文化学部では、授業もその他の学校業務も全て英語です。いわば、日本にいながら、留学生活の延長に近い状態で過ごせるのです。
そして、ここで思わぬ副産物が。
そのおかげで一気に英語マスターへとジャンプすることになったのです。
上智大学の比較文化学部の学生だというだけで、周りの人から「帰国子女である」「英語がペラペラである」と認識され、いろいろ英語の仕事が舞い込むようになりました。
そうです。かつて憧れていた英語の通訳や翻訳の仕事などです。
そして、馬鹿な私は、そう思われることに気を良くして、英語が話せず、到底、通訳や翻訳ができるレベルではないのに、全ての仕事を引き受けたのでした。
結果は当然、ズタズタです。
けれども、仕事として英語を使わねばならない状態に置かれたことで、何度もズタズタに失敗しながらも、気づいたら英語が話せるようになっていました。
生の英語で英語漬け生活の実践

ところで、留学前も、英語が話せないまま帰国した後も、上智大学に通っていた時も、常に心がけていたのは、「英語漬けの生活」です。
顔を洗いながら、歯を磨きながら、英語のニュースを聴く。電車の中では、行きは日本語の新聞やNewsweekの日本語版、帰りは英字新聞やNewsweekの英語版をラインマーカー片手に読む。読みながら、自分に質問して1人会話をする。
英語を学ぶためのテキストではなく、生のままのニュースや雑誌を読みました。
道を歩いている時は、Walkman(当時はWalkmanが大流行でした)を使って、単語や文章表現のシャドーイング。
家では、常にスカパーでアメリカのニュース番組CNNを英語のみで観る。
苦行とは思わず、「これが生活のパターン」という感じで、毎日何年もやっていたのは、英語がそれだけ好きだからでしょう。
ある日突然英語がペラペラに

英語ができないのに英語の仕事をしたり、英語漬け生活を淡々と送っているうちに、ある日気づいたら英語がペラペラになっていました。
アメリカの大学で朝から晩まで勉強して、いろいろな分野の情報を頭に詰め込んだことや、毎日日本で繰り返し学んでいた英語が自分の中で蓄積されていたのだと思います。
その蓄積があったら、ある日突然、気づいたら話せていた、ペラペラになっていた。そう思っています。
頭の中に蓄積するインプットと英語をとにかく使うアウトプット、その2つの積み重ねの相乗効果なのではないでしょうか。
【体験記】留学したのに英語が話せなかった私が英語ペラペラになった理由 まとめ

英語が全然話せなかった私が、英語ペラペラになるまでの体験記をご紹介しました。
「好きこそものの上手なれ」と言いますが、好きだからこそ、一見苦行のようなことを何年も続けられたのでしょう。
そして、普通なら「英語が話せないから」と断るべき仕事を、帰国子女になりすまして受けてしまう傍若無人さが結局、身を助けたのでしょうか。
いずれにしても、私の体験からわかることは、英語マスターに大切なのは、様々な生の英語のインプットと英語を実際に使うアウトプットの両輪だということです。
様々な分野の情報をたくさん、英語で読んだり聴いたりする事、そして、とにかく英語を使うことです。できれば仕事、という絶対にやらねばならない状況で。
これは私の体験記ですが、皆さんも、自分の目標や生活に合ったやり方で、少しだけ取り入れてみてください。
ではでは😌👍🏻。