職場事情

仕事とうつ | 職場で心が病んでしまう人

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こんにちは、BabyJです😊。

先日、私の周りには、心を病んで会社を休職する人が少なくない旨を書きました。

実は、この前、1ヶ月ほど休職していた関係部署の男性課長が復帰し、関連業務を私が引き継ぐことになりました。

今日はその時に感じたこと、仕事とうつについて書きたいと思います。

うつで休職後復帰した彼との会話

「お帰りなさい」と挨拶をして、業務の引き継ぎと共に話をしました。

会社を離れて1ヶ月間、家でゆったり過ごして、とても楽な気持ちだったと話してくれました。

彼がうつ状態になり、会社に来られなくなった原因は、会社が進める事業の計画が非現実的なのに、上からの命令で事業を進めていかなければならないことへの負担と重圧だったようでした。

私も会社に対して、全く同じように感じていたので、そのとおりだと同感。そして、私はさらっと言いました。

どうせ全て上の人達が決める。おかしいと思っても従うしかない。だから私は人ごとのように思っている。会社の事業であって自分の事業じゃないし関係ないや。

その言葉には、真剣に考えなければいいのに、そうすれば辛くないのに、というニュアンスがこもっていたのだと思います。

その時の雰囲気から、心を病んで復帰したばかりの彼に、軽々しく言う言葉ではなかったと感じ、後悔しました。

辛い環境に適応するための反応

そして、ふと、昔、心理学で学んだことを思い出しました。

不合理な状況や耐え難い環境に置かれて、その中でやっていかなければならなくなった時、人は、自分を保つために、なんとかして適応するようにできているのです。

辛い状況や環境にどう適応するかは、その人の性格や、今まで育ってきた環境、経験、などによって異なります。

子供の頃に酷い虐待を受けたひとは、それをなかったことにするために、その頃のことを忘れてしまったり、良い思い出とすり替えてしまったりすることがあるのです。

極端な例では、過去の辛い経験全てを消し去り、自分でなくなるために、別の人格を作り出す、つまり、多重人格者になったりすることすらあります(心理学で本当に習った話)。

仕事でうつになった男性課長の場合

先の、うつで休職していた男性課長の場合は、課長という立場もあって、たとえ、会社が進める事業計画が現実的でなくても、自分の役割や責任をきちんと果たさねばならないと思っていたのでしょう。

けれども、やっていることに納得がいかない上に先が見えない。でも、やらなければならない。それで多大なストレスを抱え、病んでしまったのかもしれません。

受け入れ難い状況や環境に置かれた時の、この課長の適応策は、病気になることだったのではないでしょうか。

病気になれば会社に来なくていいし、重圧から逃れられるからです。

意志を持ってそうしたのではなくても、心身の防衛本能が彼を病気にさせたのではないでしょうか。

仕事でうつにならない私のあり方

一方の私は、決して病気にはならないのです。

仕事で納得がいかない時は、提案をしたり、意見を言ったりして、状況を変えようとはします。でも、権限もないので最初からどうにもならないことがわかっている場合は心の中で見切りをつけるのです。

ちょうど副業や起業を考えていたし、どうでもいいや、と。

組織の中で責任や役割を果たそう、期待に応えようという意欲は捨て、会社の事業は人ごとで自分には関係ない、と無関心と無関与を決めることで心身のストレスから身を守るのです。

やるべきことはきちんとこなします。自分の責任や与えられた役割も一応は果たします。頭を使って効率的に良い仕事をするようにも努めます。

ただ単に、その方が自分が気持ちが良いし、ストレスのない楽しい仕事生活をおくれるからです。

それに、仕事はテキパキこなした方が、早く帰れるし、自分のしたいことに費やせる余裕ができるのです。

それだけじゃなく、職場にいる間は気分良く過ごせるように、自分の周りだけでも変えてしまう方が得。意見があったらはっきり言うとか、おかしいと思ったら変更が許されるところは好きなように変えるとか。

ストレスフルな会社生活をなるべく心地よく過ごすためなら何だってやるという感じなのです。

仕事とストレスへの異なる対応

こんな風に、男性課長と私とでは、思考の枠組みや価値観が全然違うのです。

もちろん職位も異なるけれど、私が課長でも同じ対応をしていたと思うのです。

それは、今まで生きてきたあり方や経験、いろいろなもので形作られたものです。

だから、私が男性課長に、自分はこう考える、こうする、と簡単に言い放ったのは大変な間違いだったと思うのです。

職場で心が病んでしまう人への理解

それなら、どういう風に接すればいいのかと言うと、やはり、相手のあり方を理解して、認めて、あるがまま受け止めることしかないのではないかと思います。

同じように感じ、考えることはできなくても、相手が置かれている状況で、どんな気持なのかを推し量ることはできるかもしれません。

そのうえで、もしも相手に耳を傾ける余裕があるようだったら、自分の場合のあり方を丁寧に話してみるのも良いのではないでしょうか。

そんな考え方、見方もあるのだ、と知ることは、もしかしたら1つの気づきになるかもしれません。

箱の中に入ってしまっている自分が箱の外から眺めてみるための。

いずれにしても、相手の立場、気持ちに立って考えることが、当たり前のようだけれどとても大切なのです。そのことを私は反省したのでした。

ではでは😊👍🏻。

PS: アドラー心理学では、男性課長は会社を休職するという目的のために心を病んだ。私は会社に無関心無関与になるという目的のために会社に失望する理由を探した、ということになるんでしょうね。