BabyJ's Diary: バイリンガルシングルマザーのダイアリー

英語の仕事生活、異文化、役立つ学びの体験、そして、50代の幸せ探しの日々

Facebookとのつきあい方 私の場合【コミュニケーション 2】

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こんにちは、BabyJです😊。

私は、Facebookを初めて3年くらい。今では、なくてはならないコミュニケーションツールとして、生活の一部になっています。

けれども、Facebookの交流には、とてもありがたい利点となんだか違うなぁと思う点がある。今日は、Facebookとの付き合い方について考えてみたいと思います。

Facebookで繋がる、拡がる人間関係

私は、最初はTwitter派でした。

けれども、Twitterはニックネームが基本。交流する相手の性別も年齢も素性もわからないままでの交流。

一方のFacebookは本名が基本。基本的に、相手の素性(?)をある程度知った上で、交流することができる。そんな理由から、Facebookを始めた。

最初はほとんど交流の相手がいなかったけれど、ふなっしーや、好きなブラックミュージックのコミュニティーに参加したことをきっかけに、芋づる式に、繋がりが増えていった。

それらのコミュニティーが主催するイベントなどに参加したこともあり、リアルの場でさらに友達の友達を紹介されたりと、Facebookから始まった友人関係がさらに拡がっていった。

共通の興味を持つリアルの友達

同じような年齢で、同じ頃に同じようなブラックミュージックを聴いていた人達。ふなっしーの良いところや尊敬すべきところを知っていて、どれほどふなっしーが好きかという気持ちを共有できる仲間。

普段の会社生活では、出会うことのない、共通の興味を持つ同世代の人達。Facebookであれば、そうした人達と簡単に繋がることができる。さらに、そこから、リアルに交流することができる。

意見の交換や本音のアドバイス

私はなんでも正直に言わねばいられない性格なので、日々の仕事生活や日常生活で困ったことや事件、悩みなどを投稿している。

それについて、いろいろな人から、意見や共感をもらえることで、大きな励みになっている。

このブログを始めてからは、投稿内容について、忌憚ない意見や提案、励ましなどをもらえている。それは、ブログを運営していく上で、とても良い気づきや改善のための参考になっている。

名刺や履歴書代わり

そしてまた、Facebookは、自分を知ってもらうための名刺や履歴書代わりにもなる。

自分が何をしてきて、日常で、何をして、何を考えているのか、を友達や知り合いになった人に知ってもらうことができる。自分はこういうものです、と開示することは、ひとの関係を築く上で、安心にも繋がるのではないかと思う。

また、相手に対して、リアルで知り合った人がどんな人であるのか、Facebookを通じて知ることができる。

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友達はどうしている?

また、友達や知り合いは最近、どうしているかな?と思った時に、相手の今を確認することができる。

手術をすると言っていた友達は、その後、大丈夫だろうか。仕事がきつくて辛いと言っていたあの人はどうなっただろうか。婚活中の友人は、その後、うまくいっているのだろうか、など、気になったらすぐに確認し、知ることができる。

表面的な励まし

その一方、Facebookの交流において、とてもおかしいと思う点もある。

誰かが何かに悩んでいる投稿。

何のことで悩んでいるのかは、語られていないので全くわからない。それでも、多くの人達が、それは何であるのかを聞くことも触れることもなく、「元気を出して」「大丈夫」と励ましている。

何だかわからないで表面だけで励ますことで、本当の励ましになるのだろうか。

また、もう1つは、「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」というやりとりが続く投稿。日常の関わりがなく、会うこともないのに、「今日もよろしく」というのは、何をよろしくなんだろう?

これに限らず、背景事情や本当の状況を知らないまま、とりあえず、励ましたり、褒めたりと、表面だけの言葉のやりとりが行き交う場面も多い。

何が大事なのか?

ちょっとした隙間時間にやっていることだったとしても、毎日、Facebookをチェックして、投稿を読み、コメントすることには、チリも積もればで、多くの時間と労力を割くことになる。

それが、本当の意味での交流で、リアルな人間関係に繋がるならば、意味のあることだけれど、とにかく「繋がっていたい」ために、「いいね」をしてもらうために、表面的なやりとりだけを続けることに何の意義があるのだろう。

単なる時間の浪費ではないかと思ってしまう。

そうした時間は、本来、本を読んだり、ニュースを読んだり、勉強したりするために使える時間ではないのだろうか。

私の目的

もしかしたら、表面的に当たり障りなく交流するのが、Facebookの暗黙のルールなのかもしれない。

そんな中で、本音かそれに近い投稿やコメントをする私は異端児で間違っており、ルール違反として批判の対象になるのかもしれない。

それでも、私は、これからも、Facebookを、リアルな交流ためのコミュニケーションツールとして捉えていきたい思う。

表面だけのやりとりで「繋がっている」という仮想の安心を得る必要はないし。リアルな人間関係に繋がる交流でなければ意味がないと思うのです。

Facebookに対する考えはひとそれぞれだと思うから、これは、あくまで私の考え&ポリシーですけれど。

後記

あとでトップアフィリエーター河井大志の書籍の中に以下の文章を見つけました。

Facebook特有の傾向

Facebookでは、匿名性が皆無のため、他人を批判する投稿などはほとんどありません。これらの意見が逆に批判の的にならないために、自分が少しでも悪者になるような投稿をすることはありません。逆に、実名を開示しているため、自分をよく見せようという投稿や「いいね」が目立ちます。 

心から納得です。

ではでは😊👍🏻。