
こんにちは、BabyJです😊。
試行錯誤の寄り道ばかりしてしまいましたが、やっと英語の話を始めようと思います。
留学したのに英語が話せなかった私が、英語で仕事ができるレベルまで英語をマスターしたお話です。
英語は実際に使わなければ話せるようにならない
学びはインプットばかりでは駄目で、アウトプットが大事。学ぶだけじゃなく、学んだことを使って、実際にやってみなければ身につかないのです。
例えば、私はオンラインスクール Schooで、WebマーケティングやSEO対策、アクセス解析の勉強をしましたが、自分のブログで実際にやってみなければ、机上の空論なのです。
英語もそれと同じ。
いくら英語を勉強しても、英会話学校に通っても、留学やホームスティをしても、実際に「英語で」生活し、「英語で」学び、「英語で」仕事をしなければ英語を自由自在に話せるようにはならないのです、
つまり、「英語を勉強している」限り、「使える英語」を身につけることはできないのです。
もちろん、英語を使ったからと言って、いきなりペラペラと話せるようになるわけではありません。とにかく英語を使っているうちに、ある日突然英語が話せるようになるのです。
実際に、私が勉強ばかりしていた毎日から、英語が話せるようになるまでの体験を3回に分けてお話ししたいと思います。
まずは留学のお話から。
一旦社会に出てからアメリカ留学を計画
私は、高校卒業後、一旦社会に出て、お金を貯めてからアメリカの大学に留学しました。
高校卒業後、大学に行かなかったことを後悔していたため、英語学校ではなく、最初からアメリカの大学に入学すると決めていました。
しかも、1年次の単位をアメリカの大学で履修して、2年次からは、英語や国際関係で有名な上智大学に編入することを計画していました。
上智大学には、英語で授業をする学部があったのです。資金が限られている中、英語も学べて、同時に大学も卒業できる道を選んだのです。
アメリカ留学手続きは全部自分で
経費削減のため、留学斡旋業者は一切使わず、大学の選定から、入学願書送付、試験受験 (TOEFL)、小論文の作成、査証取得、渡航手続きまで、全部自分でやりました。
アルクの「留学事典」に書いてあった通りに手続きしたのです (以下は最新版)。
留学先はマサチューセッツ州ボストン郊外のウースターにある大学です。
アメリカの大学に入学、無事卒業、そして上智大学に編入
2年次から上智大学への編入を計画していたため、単位を認めてもらえるよう、リベラルアーツ (一般教養学) を専攻し、社会学、政治学、歴史学、文学、心理学など、様々な科目の基礎講座 (Introduction to〜) を履修しました。
講義は、先生が標準語を丁寧に話すので全部、問題なく理解することができました。
1学期に6科目で、2学期制だったので全部で12科目を履修して修了。
そして、まだ在学中に、上智大学に願書を送り、アメリカでTOEFLとSATを受験。翌年、計画通り上智大学の2年次に編入することができたのです。
留学したのに英語が話せない
しかし、留学したにも関わらず、帰国した時、私はほとんど英語が話せませんでした。
心理学に興味を持ち、アメリカの大学での選択科目は全部心理学。リーディングやエッセイの課題に追われ、週末以外は毎日勉強ばかりしていたからです。
英語での授業についていくために、留学生は皆そんな風に毎日勉強づくめでした。話すよりも、圧倒的に読んだり、書いたりに時間を費やしたのです。
寮では、日本人は私一人。
ルームメイトはアメリカ人でしたが、自分に話しかけてくれる時は言っていることが理解できても、アメリカ人同士のスラング満載の会話はさっぱりわからず、ただ笑っていた始末。
週末はアメリカ人のパーティーに行ったりはしましたが、対等に遊ぶなどほど遠い状況だったのです。
なので、留学すれば英語ができるようになるというのは大間違い。
英語がほとんど話せないまま、英語で有名な上智大学に編入。今度は、日本での英語生活が始まったのです。
けれども、この上智大学入学がきっかけで、英語が話せるようになるのです。
続きは第2話へ。ではでは😊👍🏻。
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