BabyJ's Diary: バイリンガルシングルマザーのダイアリー

英語と異文化と好きなことが詰まったワクワクの毎日

外国人と仕事をするには【英語 15】

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こんにちは、BabyJです😊。

自分のスタイルを貫き、思ったことを何でも言ってストレスフリーの会社生活をする、という記事について、またまた、Facebookの友達から意見が寄せられました。

そうした意見がきっかけで、本音で意見を語り合うことができたり、また、視野が広まったり深まったりもするので、とても有難いと思います。

普通は周りを気にして思ったことを言えない

大方の意見は、「普通は、周りを気にして思ったことが言えない、あるがまま好きなようには行動できない人が多数である」というものでした。

日本では、はっきり言わない、感情を表に出さないのが美徳。相手の気持ちを察するとか、空気を読むとか、言外の意味を察するのが大切。

だから、はっきりとものを言い、何でも白黒はっきりさせる私のあり方は欧米人のやり方だね、という意見だった。

仕事で性格が変わった

私は元からこういう性格だったわけではない。引っ込み思案ではなかったけれど、何でも言いたいことを言う、というほどではなかったと思う。

それが、今のような性格に変わったきっかけは、留学後編入した大学を卒業し、留学予備校で働いていた時に、変わらねばならない状況に置かれたこと。

同僚は皆、英語ができた。でも、単に上智の比較文化卒(現、国際教養学部)というだけで、英語が一番できると思われてしまっていた。そして、ある日、「課長」に昇進。2階にある職員室に席が移動となり、アメリカ、カナダ、イギリスなど、各国出身の男子講師達の中で紅一点という環境で、彼らを取り締まり管理、指導する立場になったのでした。

今思えば、私が特別優秀だったわけでも、リーダシップの素質を見出されたのでもなく、単に、私が毎日毎日、遅くまで残業をしていたせいだと思う。課長にすれば、残業代は不要になるから。

外国人ばかりの中で、日本人それも女性一人でやっていく。しかも彼等を統率せねばならない環境では、強く出るしかなかった。何でもはっきり言わなければ、誰もいうことを聞かないような状況だった。

あの職場で過ごした数年間によって私は変わったのだと思う。

多文化の人達を相手の仕事をする

その後勤めた、様々な組織や団体でも、常に私は外国や外国人を相手に仕事をすることになった。

国際機関では、アジアの開発途上国全てが相手だった。アゼルバイジャン、ウズベキスアン、アフガニスタン、ベトナム、インドネシア、マレーシア、インド、サモアなど文化が異なる種々様々な国。

それぞれ異なる文化、行動様式、思考様式を持つ多様な国々が相手。

これら各国とメールや電話で通信を行って、ワークショップに参加してもらうための、いくつもの課題提出や渡航準備を進めてもらうのが業務だった。

けれども、時間や期限にルーズだったり、規定の書式や形式を守らなかったりする国がほとんどだった。

きちんと期限通りに、決められた形式で物事を進めてもらうには、控えめな姿勢でただ待っているだけでは何も進められなかった。

言うべきことははっきり言い、何度も催促したり、メール、電話、ファックスなど、あらゆる手段を使っての積極的な働きかけが必要だった。

日本的なやり方ではかえってストレス

そのような外国人を相手に、日本的なやり方で対応していたら、ものすごいストレスだったと思う。
言わないでも分かってくれるはず。察してくれるはず。言外の意味を汲み取ってくれるはず。

そう推測しても、それは推測の域を出ない。本当に期待した通り、やってくれるだろうか。こちらが意図した形式で、期限までにちゃんとやってくれるだろうか。

やってもらえる確信も保証もない中で、気をもむことになる。

もしも私がそういうやり方をしていたら、期待は全て裏切られ、何も成せなかったと思う。

物事をなすのに必要な態度

そんな不要なストレスを溜めないためにも、こちらがして欲しいことや意見ははっきり、具体的に明確に伝えることが必要。はっきりとした言い方で。

そしてこちらが意図した通りに理解してもらえたかを、しっかり確認する必要がある。逆に相手の意見や姿勢、意図ついてもはっきり確認する必要がある。

都合が悪い時などは、故意にこちらの質問に直接答えないこともある。そんな時も、諦めず、何度も確認して、答えを明確にさせておかなければならない。

曖昧なままにしておいて、後で大きな問題になることを避けるためにも。

同じ人間であることは変わらない

それは決して、相手の気持ちを考えずに何でもずけずけ言っていいという意味ではない。

こんな風に言われたら嫌な気持ち、こんな風に言われたら嬉しい気持ち、というのは人間皆同じ。

留学予備校の時に、私があるアメリカ人講師、ディビッドのお子さんの写真を見せられて「可愛い!」とおおっぴらに褒めたことがある。後で、その場にいた別のアメリカ人に言われた。「リチャードにだって可愛い子供がいるんだよ。」

その場にいた子供がいる別の同僚への配慮をたしなめた言葉だった。

反省すると同時に、言ってくれた彼に感謝し、そして、皆同じ人間と思ったのでした。

今はそれが自分のあり方に

もう何年も長い間、そんな風にやっているうちに、それが私のあり方になってしまった。

そもそも、相手が外国人か日本人かによって、姿勢や態度、関わり方を変える必要があるだろうか。それはあるだろう。郷に入っては郷に従えだ。

でも、日本人の言外を読み取る、察する、我慢するという姿勢は誰にでも理解されるものではない。

相手がどこの国の人でも、どんな文化でも、対等にやっていける臨機応変な関わり方が必要だと思うのです。

ではでは😊👍🏻。