BabyJ's Diary: バイリンガルシングルマザーのダイアリー

英語学習、英語の仕事、自分らしい生き方・働き方・ライフスタイル

英語が話せないまま英語のお仕事(2019年10月30日更新)

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こんにちは、BabyJです😊。

前回は、留学しても勉強ばかりしていて、英語が話せないまま帰国したお話を書きました。そこからどうやって英語が話せるようになったのかを、今回と次回とでお話します。

前回のお話を知らないかたは以下を読んでいただけたら幸いです😌。

留学から帰国後は上智大学に編入

アメリカ留学から帰国して、英語で有名な上智大学に編入しました。

授業も学生生活も全て英語でやる比較文化学部 (現在は「国際教養学部」に名称変更)です。早見優やアグネス・チャンも卒業した学部です。

周りはほとんどが帰国子女か留学生。私のように完璧に日本人で母国語が日本語という人は少数派。

そんな環境で、日本での大学生活が始まったのです。

相変わらず、授業はよくわかったし、アメリカにいた時と同じように、勉強、勉強の日々。

ところが、それだけでは済まなかったのです。

英語の仕事が向こうから舞い込む

あの頃は、「上智大学の比較文化学部の学生」である、というだけで、「英語がペラペラの帰国子女」と見なされる傾向がありました。

そして、そのおかげで、英語のお仕事がいろいろ舞い込むこととなりました。そして、私は英語が話せないのにそれを全部引き受けたのです。

英語は話せないし、翻訳や通訳の方法も学んでいない。英語ができる帰国子女のイメージを持たれることに気分を良くして、何か錯覚していたのかもしれません。

勉強していないから、やったことがないからできないという思考もなかったのです。

某大手出版社から時事問題の翻訳の仕事

1番最初に引き受けた仕事は、某大手出版社でフリーの記者をしていた友人から依頼された、チベット紛争についての記事の翻訳です。

チベットの紛争のことなんか全然知りませんでした。

今ならそのトピックの背景をしっかり下調べして、専門用語リストを作ってから、直訳でなく意訳します。

けれども、当時は、そんなこともわからなかったので、リサーチもせずとにかく直訳していました。結果は中学生の英作文よりひどいものでした。

事前に提示されていた数万円の報酬は、友達から微妙な態度で渡されました。

多分、あれは会社に却下され、彼のポケットマネーからの支払いだったのでしょう。

外国人向けバスツアーのガイドアシスタントの仕事

その次は、外国人向けバスツアーのガイドアシスタントです。

これは、上智大学での科目履修登録の際に、たまたま前に並んでいた人から誘われたものです。その人は通訳案内士としてガイドをしており、アシスタントを探していたのです。

アシスタントは、いろいろなホテルに行ってツアーのお客様をピックアップするのです。

これはさすがに簡単な上、各国からのお客様と話せるし、有名ホテルにも出入りできるので、英語だけでなくいろいろな面で勉強になりました。

結局、こちらの方は、東京タワーや皇居、浅草などを回る東京デーツアー、夜の芸者ツアーなど、週に4日間、大学卒業までの3年間続けることになりました。

ツアーアシスタントと言っても、全行程、ガイドに付いていく必要はなかったためです。

区民会館で代理英会話講師の仕事

その他、産休に入る友人の友人から依頼され、区民会館で半年間、英会話講師の代行も務めました。

近所に住む中高年の奥様が受講生。

受講生からは、「先生の授業は文法やパターンの説明がとてもわかりやすい。英語のコミュニケーションの練習ができるいつもの先生の授業と両方あったらいいのに。」と言われました。

私は、その友人のように英語が流暢じゃなかったからそんな風に言われたのです。

このように、日本の大学での3年間、授業の傍、ずっと英語を使って働いていました。

大学では勉強、勉強で英語で様々な分野の知識をインプット。外ではお仕事でアウトプット。それを3年間続けたのです。

その結果、卒業する頃には、一応は英語が話せるようになっていたのです。

それでも、不自由なく外国人と対等に仕事ができるレベルになるまではまだまだ。

大学を卒業し就職しても、その横でさらなる努力の毎日が続くのです。

続きは、第3話へ。ではでは😊👍🏻。(2019年10月30日更新)

第3話はこちら >> 私は何で英語をものにした?