BabyJ's Diary: グローバル思考で行こう!

英語を使って働くこと、自分らしい仕事生活、外国人とのつきあいや異文化体験、役立つ学びの紹介など

後になって大学に入学した理由【学び 5】

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こんにちは、BabyJです😊。

今日は、何故、アメリカの大学に留学することに決めたのか、ちょっとした裏側の理由についてお話したいと思います。

私は高校を卒業する際、大学への進学は考えていませんでした。

実はスチュワーデス(あの頃は「キャビンアテンダント」ではなく「スチュワーデス」と言った😅)に憧れていたのです。だから専門学校のスチュワーデス科に入学しました。

専門学校で学びながら、航空会社からの募集を待つ毎日。スチュワーデス志望者が読む「翼」という雑誌を購読したり、参考書で受験勉強に精を出したりしていました。あの頃人気だった「アテンション•プリーズ」を毎週観ては、「大空は私達のものよ。」と空を仰ぎながら夢を見ていたのです。

が、それが完全に横道に逸れてしまうことになりました。

今の私を知る人からは想像もつかないことですが、何故か次第に人と話をすることが苦痛になり、人前で発言することができなくなってしまったのです。つまり、対人恐怖症。友達と話すのは平気だけれど、知らない人や大勢の人の前では、緊張して顔がこわばり声も震える始末。

人前で接客するなんてとても無理。視力や身長がギリギリだったこともあって、結局この道は現実的でない、と断念。次第に、専門学校で授業を受けることも苦痛になり始め、逃げるように、別の就職の道を行くことにしました。学校に行かなくてよくなる理由を作りたかったから。

既に高卒後、半年経っていたため、中途採用での就職。紆余曲折の末、しばらく経ってからIT系の企業に就職が決まりました。

会社では海外流通課に配属になり、輸出入の船積書類の作成を担当しました。海外が相手とはいっても、英語を使うというには程遠い。英文の定型書類に、数字を入れたりするだけ。でもアットホームな職場でとても楽しかったのです。

その頃はもう対人恐怖症もすっかり治っていました。あれは思春期の一過性の病だったのでしょう。。。

ところが、しばらくして知ることになりました。

高卒である私の給料は手取りで10万程度。その一方、大卒の人は、大卒というだけで6,7万も多いということを。

私は大学に行けなかったのではなく行かないことを自分で選んだ。それなのに、特に優秀ではない、聞いたこともない大学の人も、私より格段に多い給料をもらっている。会社に勤める限り、私は高卒とみなされ、大卒とは区別される。

日本の会社で正当に評価されるには、大学を卒業する以外にない。それなら、今から大学に行こう。行くなら、絶対に、大好きな英語で一番有名な上智

でも、一方で、ずっとアメリカに留学したいという夢もあった。だからそれも実現したかった。それで、なんとなく両方を結びつけていろいろ調べた結果、アメリカの大学に入学して、2年次から上智に編入して卒業、という計画を思いついたのです。どちらも叶えられて、経済的で、一石二鳥の計画(現在は、編入は3年次からのみのようですが)。

今は、いろいろな生き方が可能だし、学歴も関係ない。でも、昔は、そうではなかった。

高校を卒業したら大学、大学を出たら、就職、または大学院、と、敷かれた普通のレールを進むのが当たり前。1度社会に出て、もう一度やり直すこと、途中から別の道を行くことはとても珍しいことだったと思う。

留学準備のために英語を勉強したり、お金を貯めたりしていた私に、「そんなことをしていないで早く結婚しないと婚期が遅れるよ」などと言った人もいます。今からすると、本当に驚くような時代の中で、驚くようなことをしていたのですね。

でも、とにかく、最初の挫折から立ち上がり、牛のように努力を続け、それから3年経った26歳の時にアメリカの大学に入学した。世間の常識より8年遅い。

でも、何を言われても、決めたことを実行したからこそ、今があるのです。

大学に行くのは いつからだって良いと思います。行きたい時に行けば。卒業したのが遅い年齢だったことで損したことは何もない。そもそも、何歳で卒業したかなんて問題にされない。残るのはどこの大学を卒業したかだけ。

続きはまた明日。

ではでは😊👍🏻。